京都地方裁判所 昭和31年(ワ)881号 判決 1959年10月21日
原告 金川恒夫 外四名
被告 川島秀治郎
主文
被告は原告金川恒夫に対し金二十一万八千八百円、原告金川たきゑに対し金一万円、原告金川保子同金川猛雄同金川京子に対し各金二千円、及びそれぞれ右金員に対する昭和三十一年九月三十日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告等其の余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを四分しその三を被告の負担とし、その一を原告金川恒夫の負担とする。
この判決は原告金川恒夫は金七万円、原告金川たきゑは金三千円の担保を供するとき、原告金川保子同金川猛雄同金川京子は無担保で、それぞれ仮に執行することができる。
事実
原告等訴訟代理人は、被告は原告金川恒夫に対し金七十万円、同たきゑに対し金十万円、同保子に対し金八万円、同猛雄、同京子に対し各金五万円及び右各金員につき各原告に対する本件訴状送達の翌日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。
原告金川恒夫は訴外荻野幸治よりその所有にかかる別紙目録記載の家屋(以下本件家屋と言う)を借受け、三十数年来居住占有し来つたところ、訴外川島敏子は昭和二十一年六月二十七日右荻野より本件家屋を買受け、その所有権を取得して賃貸人たる地位を承継した。然るに昭和二十九年七月一日右敏子の父である被告は原告金川恒夫を相手方として、同人の賃料不払及び無断転貸を理由とし、右賃貸借契約を解除した旨主張して京都簡易裁判所に本件家屋の明渡を求める訴を提起し、同庁昭和二九年(ハ)第一五三号家屋明渡請求事件として訴訟係属の結果昭和三十年十一月十四日仮執行宣言附当該訴訟原告(本訴被告)勝訴の判決が言渡されたので当該訴訟被告(本訴原告)金川恒夫は右第一審判決を不服として当庁に対し控訴を提起し抗争の結果、昭和三十一年八月一日原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する旨の判決が言渡され、右控訴審判決は上訴期間の満了により確定した。然るところ、被告は右判決確定前の昭和三十一年三月三十一日前記第一審判決の仮執行宣言に基いて原告金川恒夫に対する本件家屋明渡の強制執行を為し、右恒夫及び同人と同居していたその妻原告たきゑ、長女同保子、二男同猛雄、二女同京子を同家屋より強制的に退去させたうえまもなく、右家屋を訴外藤本茂に売却しその引渡を了えたので、その結果として原告等は本件家屋に対する原告恒夫の賃借権及び右賃借権に基く一同の居住権を喪失し之を回復することは到底望み得ないこととなつた。右の如く被告は本件家屋明渡の仮執行により原告恒夫の同家屋に対して有する賃借権を侵害し、ついで訴外藤本茂に対する該家屋の売却処分により右仮執行により生じた結果の原状回復を不能ならしめ、よつて原告恒夫をして本件家屋に対する賃借権を完全に喪失させ右賃借権相当額の損害を蒙らせたものである。而して本件家屋に付ての賃借権価格は、右家屋が京都市中京区御前通り旧二条下る西側に所在し、旧二条通り商店街に面しているため階下正面部分において商売を営むことが可能であるのみならず、環境も良好で住宅として最適の広さを有すること等に鑑み、金八十万円乃至九十万円と評価するのが相当であるから被告は原告金川恒夫に対し損害賠償として右賃借権価格相当額の金員を支払う義務あるところ、右原告は本訴においてその内金五十万円の賠償を求ある。
次に原告等は本件仮執行により強制的に家屋を退去させられ、その結果として原告恒夫、同たきゑ、同保子(当時十九年)の三名は近隣の訴外長谷富至路の情にすがり、同人方二階四畳半一室を借受けて漸く雨露を浚ぐに至つたが、原告猛雄(当時十三年)同京子(当時十年)の両名についてはやむなく親戚にあたる兵庫県氷上郡春日町稲塚、村上伊太郎方に養育方委託し遂に一家離散の状態に陥つて今日に及んでいるものであるところ、(一)原告恒夫は一家の主人たる父として、同たきゑは一家の主婦たる母として、原告猛雄、同京子両名が幼少の身でありながら、両親の膝下を離れた親族の世話になり、寂しく異郷に暮す身の上に想いをはせては日々胸を痛めつつも、自らは他家の情にすがり二階の狭隘な一間に、気兼ね勝ちな生活を余儀なくさせられ、精神的に大なる苦痛を蒙つており(二)原告保子は婚姻適令期にある娘として、貧しいながらも本件家屋に引続き居住し得たならば結婚も比較的容易であつたにかかわらず、他家の二階一室に父母と共に間借生活する現状においては著しく困難化するに至り婚期を空しく逸することによる精神的苦悩は狭隘な日常生活による苦痛とあわせて父母に勝るとも劣らず、また(三)原告猛雄、同京子は幼少の身でありながら、両親の膝下を離れて親族に養育を委ねられ、今後久しきに亘り遠く父母の愛情を慕いつつ淋しく暮さねばならずその精神的苦痛は同人等が幼少の者であるだけに一層痛々しいものがあるというべきである。ところで被告は本件家屋明渡の強制執行が為された場合、原告恒夫において家族五人が使用するに足る家屋を他に買求め乃至は賃借することは、同人の資力よりしては不可能であり、その家族と家財道具を擁して怱ち路頭に迷うに至るであろうことを予見し、乃至は予見し得べきであつたにもかかわらず敢えて本件家屋明渡の仮執行をした結果、原告等に対し以上の如き精神的苦痛を蒙らしめたものであつて原告恒夫に対し前記賃借権価格相当の賠償をなすの外、原告等一同に対し右精神的苦痛をも慰藉すべき当然の義務がある。
而して右慰藉料の額は上記諸般の事情に鑑み原告恒夫に付ては金六十万円、同たきゑに付ては金四十万円、同保子に付ては金三十万円、同猛雄及び同京子に付ては各金二十万円を以て相当とするが、原告等は本訴に於て被告に対し原告恒夫に対しては内金二十万円、同たきゑに対しては内金十万円、同保子に対しては内金八万円、同猛雄、同京子に対しては内金各五万円の支払を為すべきことを求める。
仮に原告等の被告に対する以上の請求が民事訴訟法第百九十八条第二項にもとづいては理由ないものとするも被告は同人に原告等に対する明渡請求権なきことを知るか又は当然知り得べかりしにかかわらず前記仮執行宣言附判決あることを奇貨として右明渡の執行を為し原告の居住権を不法に侵害したものであるからしていずれにせよ被告は原告等に対して上記の損害を賠償する義務を免れない。
以上の次第で本訴請求に及んだ次第であると陳べ、被告の抗弁事実は全部之を否認する。仮に被告主張の如く原告恒夫及び被告間に控訴取下の合意が成立したとしても右は同原告に於て被告が真正の賃借人であると誤信して為したものであるから要素に錯誤あるものというべく無効であると述べ、慰藉料算定の基礎につき原告恒夫は旧高等小学校を卒業し仮執行当時店員を業としており、同たきゑは旧尋常小学校を卒業し当時通勤の家政婦をしており、また、同保子は新制中学校を卒業し当時店員として勤め、同猛雄は新制中学校、同京子は小学校に通学の身である。次に被告は不動産其の他巨額の資産を有し自家用自動車を使用して豪勢な生活を送つているものであると附陳し、
立証として甲第一乃至第三号証の各一、二、第四号証の一乃至三、第五乃至第十七号証を提出し証人川本吉春、同野々口藤吉、同長谷富至路の各証言、原告本人金川たきゑ尋問の結果(第一乃至第三回)及び鑑定人中西三郎鑑定の結果(第一、二回)を援用し、乙一号証は原告名下の印影が原告所持の印形と一致することは認めるがその余の部分の成立を否認する。乙第二、第三号証の成立は認めると述べた。
被告訴訟代理人は原告等の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め、答弁として、
原告主張事実中、原告金川恒夫が元本件家屋の所有者であつた訴外荻野幸治から本件家屋を借受け、その余の原告等と居住していたこと、原告等の身分関係がその主張のごときものであること、被告が原告等主張の日時にその主張するような内容の訴を京都簡易裁判所に提起し、その結果原告等主張の日時に仮執行宣言附当該訴訟原告(本訴被告)勝訴の判決言渡があつたこと、原告恒夫は右判決に対し控訴を申立て当庁において原告等主張の日時にその主張の如き内容の控訴審判決言渡があり右判決は確定したこと、被告が原告等主張の日時に仮執行宣言附第一審判決に基いて、原告恒夫に対する強制執行を為し本件家屋の明渡を得たこと、被告がその後まもなく本件家屋を訴外藤本茂に売却処分したことはいずれもこれを認めるが、その余の事実は否認する。被告の本件仮執行は何等同人の故意過失に基くものではないから不法行為は成立せず、被告において原告等に対し損害を賠償すべき謂れはない。すなわち被告が第一審において勝訴判決を得たにもかかわらず第二審で敗訴するに至つた所以は元来本件家屋は被告において金員を支出し買受けたものであるからその所有権は被告に帰属するものであつたにかかわらず、その主張立証を十分に尽さなかつたため、単に登記簿上の所有名義人に過ぎない被告の娘敏子の所有と認められるに至つたことにあるのであつて、原告恒夫と被告間の本件家屋を目的とする賃貸借契約の解除が実体上その理由を具備していたことは第一審判決の結果に徴してもおのずから明らかなところである。すなわち被告は本件家屋明渡請求は正当であつて右第一審判決は控訴審においても維持されるものと信じて右明渡の執行を為し、かつ斯く信ずることについて毫も過失はなかつたものであるからして原告等から右執行を原因としてその損害賠償を請求される謂れは全くない。
仮に右の主張が理由がないとしても前記家屋明渡請求事件の控訴審、口頭弁論終結前である昭和三十一年四月四日原告恒夫及び被告間に訴訟外において示談成立し、右恒夫は被告に対し本件家屋を終局的に明渡し控訴を取下げる旨を約した事実がある。而して右合意の趣旨は要するに本件家屋明渡により生ずることあるべき一切の紛争を打切ることにあつたのであるから原告等が、いまさらに右明渡の執行を理由として損害賠償の請求を為すことは許されない。また、原告恒夫が右約旨に反しその被告に対して負担する控訴取下義務を履行しなかつたため、控訴審の弁論が為されその結果として第一審判決が取消されるに至つたものであるからして原告主張にかかる被告の原状回復乃至損害賠償義務の発生は原告の責に帰すべき控訴取下義務違反に基因するものというべく従つて禁反言の原則に照らし被告において、右原状回復乃至損害賠償義務を負担すべき謂れはないと述べ、
立証として乙第一号証乃至第三号証を提出し、証人林松太郎、同林ヨシ子の各証言及び被告本人尋問の結果を援用し、甲第三号証の二、第五、第八、及び第九号証の成立はいずれも不知と述べ、爾余の甲号各証の成立を認めた。
理由
本件の被告が原告となり本件の原告金川恒夫を被告として京都簡易裁判所に別紙目録記載家屋の明渡を求める訴を提起し、同庁昭和二九年(ハ)第一五三号家屋明渡請求事件として係属し昭和三十年十一月十四日同裁判所において仮執行宣言附当該訴訟原告(本件被告)勝訴の判決が言渡されたこと、被告は右判決の執行力ある正本に基いて昭和三十一年三月三十一日強制執行を為し即日原告等五名を本件家屋より退去せしめ、その明渡を得たうえ、まもなく、之を訴外藤本茂に売却したこと、而して原告恒夫は右第一審判決に対し当庁に控訴を提起し弁論の結果昭和三十一年八月一日、「原判決を取消す被控訴人(本訴被告)の請求を棄却する」旨の当該訴訟被告(本訴原告金川恒夫)勝訴の判決言渡あり右判決はその頃確定したことは当事者間に争いがない。右の如く仮執行宣言附判決が上級審で取消された場合当該事件の被告は右仮執行宣言に基き給付したものの返還及び仮執行に因り受けた損害の賠償を請求し得ることは民事訴訟法第百九十八条第二項に明定せられるところであり、これに対する相手方の責任は、なんら、同人の故意、過失を必要としないと解すべきところ、本件において被告は前記の如く本件家屋をその明渡執行後まもなく他へ売却し原告恒夫をしてその賃借権の回復を不能ならしめたものでおるからして同原告の請求により被告は同人に対し当時に於ける賃借権相当の価額を賠償すべき責めがあること明らかである。
此の点につき被告は原告恒夫は仮執行後被告と示談し将来右家屋明渡に基く一切の紛争を取止めることを約し、乃至は、控訴取下を為す旨合意したのであるから被告として右請求に応ずる義務がないと抗争するが、原告たきえ本人尋問の結果(第一乃至第三回)によれば原告恒夫は被告に対し被告主張の如き異議権抛棄ないし控訴取下の意思を確定的に表示したものでないことが認められ、原告恒夫名下の印影の成立に争ない乙第一号証、証人林松太郎、林ヨシ子被告本人の各供述其の他被告挙出の全立証に徴しても右原告たきゑ本人尋問の結果に照らし右示談成立の事実を肯認するには十分でないので右被告の主張は之を採用しない。
よつて右賃借権の当時の価額につき考えるに成立に争ない甲第八号証、第十三乃至第十五号証に徴し明らかな被告が本件家屋の賃料として月額千五百円を要求していた以外これといつて措信するに足る資料のない本件においては、本件賃借権を仮に譲渡可能なものであつたと想定しその場合の譲渡価格を以て右価額と認めるのが相当であり、第二回鑑定の結果によれば右譲渡価格は十九万八千八百円であるから、右賃借権は右金額相当の価額を有していたもので被告は原告恒夫に対し賃借権返還に代る損害賠償として右金員を支払うべき義務あるものといわなければならない。
次に原告等の慰藉料の請求につき検討する。
民事訴訟法第百九十八条第二項に規定せられた損害賠償請求権を有する被告とはひとり前判決において当事者として表示された者に限らず右判決の執行を受忍すべき地位にあつた者をも包含すると解すべきである。而して恒夫以外の原告等が本件家屋に対する同人の従属占有者であり、かつ、本件明渡の執行を受けたことは当事者間に争ないところ、成立に争のない甲第二号証の一、二、第三号証の一第四号証の一ないし三当裁判所に於て真正に成立したものと認める甲第三号証の二及び証人川本吉春、野々口藤吉、長谷富至路の各証言原告本人金川たきゑ尋問の結果(第一回)並びに弁論の全趣旨を綜合すれば原告等は前記仮執行により本件家屋を強制退去させられ、資力ない身として忽ち転居売に窮し差し当り近隣に居住する野々口藤吉の情にすがり同人方三畳の間に一家五人が寝泊まりし家財道具は近隣の二、三軒の家々に分散して当座の急場をしのいだが、右狭隘な間借生活に耐えず二、三日後原告京子(当時十年)同猛雄(当時十三年)両名を親戚にあたる兵庫県氷上郡春日町稲塚、村上伊太郎方に養育を委託するの止むなきに至つたこと、その後原告恒夫(当時五十三年)同たきゑ(当時四十二年)同保子(当時十九年)の三名は同年四月末日頃本件家屋と同町内にある長谷富至路方二階四畳半及び一畳二間を借受け移転し、一畳の間は物置として使用し右四畳半一間で起居して今日に至つていることなどを認めることができ右認定に反する証拠はない。これによると原告等五名が本件仮執行によつて家財道具もろとも本件家屋を強制退去させられ多年住みなれた住居を失い以前と比較にならぬ程狭隘な家屋に居住せざるを得なくなつたことにより相当な精神的苦痛を蒙つたことは事前に於て之を推測するに難くなく被告がこれを慰藉すべきは、蓋し当然であるが前記認定事実中の右以外の点は当時被告においてこれを予見し、ないしは予見し得たであろうと認めるに足る証拠がないので右事情に因る精神的苦痛をも慰藉料の対象とすることは相当でなく、従つて、被告は前示認定の限度において原告等の蒙つた精神的苦痛に対し慰藉の方法を講ずべき義務があるものと言うべく、その慰藉料額については原告金川たきゑ(第二回)及び被告各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認められる原被告等の年令、身分、地位境遇等を斟酌し原告恒夫については金二万円原告たきゑについては金一万円その余の原告三名については各二千円とするのが相当であると考える。
原告等は本件仮執行は被告の故意、過失に基き為された不法行為であるからその点慰藉料額の算定につき考慮せらるべきであると主張するけれども、被告において第一審判決が取消されるべきものであることを知り、ないしは、知らなかつたことにつき過失があつたとは之を認めるに足る証拠がないので右主張は理由がない。
以上の次第で被告は原告恒夫に対してはその賃借権喪失に代る補償及び慰藉料として、その余の原告等に対しては慰藉料として、それぞれ、上記の金額をこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三十一年九月三十日以降各支払済迄民事法定利率による遅延損害金を附して支払う義務あるものと認め、原告等の請求は右限度において正当として認容し、これを超える部分を失当として棄却すべきものとし訴訟費用の負担及び仮執行の宣言につき民事訴訟法第八十九条第九十二条本文第九十三条第一項但書第百九十六条第一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 加藤孝之)